みんなの白山 - 子どもたちのための白山総合情報

日本三名山のひとつ、白山の総合情報サイト。白山の登山体験や動植物図鑑があります。その他、歴史や文化など、白山にまつわるいろいろな情報を掲載しています。

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美濃馬場-長滝白山神社

 美濃禅定道(みのぜんじょうどう)の起点となる美濃馬場(みのばんば)は、現在の長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)・白山長滝寺(はくさんながたきでら)です。主に、東海地方(とうかいちほう)の人達が白山へ登るための起点となっていました。明治の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)以前には、神社とお寺が一体となっており、『白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐうながたきでら)』と呼ばれていました。
長滝寺は、泰澄大師(たいちょうだいし)が創建(そうけん)したと伝えられ、美濃地方の白山信仰の拠点としての役割をながく担ってきました。全盛期には、「六谷六院(6たに6いん)、神社仏閣三十余宇(じんじゃぶっかく30よう)、満山宗徒三百六十坊(まんざんしゅうと360ぼう)を」擁していたと伝えられており、
「上り千人、下り千人、ふもと千人」と言う言葉が残っているように、多くの人でにぎわう場所だったようです。
 戦国時代になると浄土真宗(じょうどしんしゅう)の勢力が拡大し、多くの松寺(しょうじ)が改宗(かいしゅう)するなどして、長滝寺の勢力は衰えてしまいます。明治時代の神仏分離令で、長滝白山神社と白山長滝寺(現在の長瀧寺)に分かれることになりますが、現在でも神社と寺とが同じ境内にあり、『神仏習合(しんぶつしゅうごう)』の姿を今に残しています。

長滝白山神社






白山文化博物館

 美濃番場である長滝白山神社の近くには白山文化博物館があります。3つの大画面映像による白山登拝体感(とうはいたいかん)をはじめ、白山に関する文化を写真・映像で紹介するテーマ展示室、各地の史跡(しせき)・施設を紹介するインフォメーションプラザ、美濃番場を中心とした貴重な文化財を展示する文化財展示室、三昔の人々の生活道具などを紹介する歴史民族展示室などがあります。

 

石徹白『白山中居神社』

 美濃禅定道沿いの郡上市(ぐじょうし)の石徹白(いとしろ)地区には「白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)」があります。中居とは、白山山頂の本社と美濃馬場「長滝寺」の中間を意味しています。
石徹白は、白山中居神社に奉仕(ほうし)する人達の村で、年貢(ねんぐ)も免除(めんじょ)され、苗字帯刀(みょうじたいとう)も許されていました。白山信仰と共に生き、夏場には白山登山者の世話を行い、冬場は布教活動(ふきょうかつどう)をしていました。現在、集落内の建物の多くは、白山参詣(さんけい)の案内や宿を営み、家の中には、仏間(ぶつま)の他に「白山の間(はくさんのま)」があります。石徹白地区は、各地をまわり人々に白山の信仰を広める『御師(おし)』の集落とも呼ばれています。中居神社境内(けいだい)には樹齢(じゅれい)1000年を超える杉の大木が数多くあり、荘厳(そうごん)な雰囲気に包まれています。

白山中居神社